Louise Nevelson| ルイーズ・ネヴェルソン展示会
まさか、Louise Nevelsonの作品をドイツで見られるとは思っていなかった。少し前に彼女の作品を知ってから憧れ、直に、見てみたいと思っていた矢先のことだったからである。
ありきたりな言葉だが、Louise Nevelsonの作品は単純にかっこいい。
そのかっこよさは一体何なのかを考えてみた。
まず初めに、少しLouise Nevelsonの紹介をしておこう。
ユダヤ系ロシア人のLouise Nevelsonは1900年初頭に家族一行、アメリカ合衆国に移住する。父が木樵であり、木という素材が常に家庭に存在していたせいか、Nevelsonの作品は主に木が使われている。少女時代に図書館で見た石膏のジャンルダルクに感銘し、その後高校でドローイングクラスを受け始める。家族の経済的地位、言語の違い、地域社会の宗教差別、そして学校に不満を抱いたNevelsonは、ニューヨークの高校への進学を目指す。高校卒業後は地元の弁護士事務所で速記者として働く。そこで、後に結婚することとなるCharles Nevelsonと出会うことになる。両親の願いも叶ったのか、運送業経営者の息子との結婚。裕福な家庭に嫁ぐことができたNevelsonは、夫と共にニューヨークへの転居も叶う。ニューヨークではドローイング、ペインティング、ダンスや歌を学ぶ。だが義理の両親には反対され、よく思われなかった。
Nevelsonは言う、
”夫の家族はとても上品だった。 そのサークル内ではベートーベンを知ることができるが、もしあなたがベートーベンだったら神はそれを禁じる”と。その後、またの引っ越しで都市部から少し離れた街に移動することになるが、彼女のニューヨーク中心部の生活や芸術的環境から遠ざかることを嫌ったNevelsonは夫のCharlesと離婚。だが彼女は前夫の経済サポートを求めなかったという。このNevelsonの一刀両断な性格は作品にも見て取れる気がする。ニューヨークの道に捨てられた家具や廃材を使った作品は 何千、何万とあるarrangementの可能性から、ただ一つを選出して構成構築する。 このプロセスは筆者も何回も経験しており、大変勇気のいる決断だと知っている。 どのアレンジメントが正解か、もしくは全てのアレンジメントがそ うでないかもしれないからだ。
彼女はまた言う。
”クルマが木片の上を走って、いろいろなものができて、凹んだり、いろいろなものが入って出てくる。私がわざわざ描くより既に直接描けてあるのに、それをまた描いてどうするの? それは mediaであり、そこにある真実だ” と。
ニューヨークの街の中から出た廃材や跡はその街の肉や骨だと言ってもいい。その一つ一つのかけらには様々な声や物語、歴史が宿る。
そのカケラはNevelsonの手によって拾い集められ、新しい形へと変わっていく。
私は作品をじっと見た。
その一つ一つのマテリアルが一体何なのか、またどの様な所から来ているのか。そのマテリアルを使用していた人や店の情景まで浮かんだ。ニューヨークという街を想像した。そして、Nevelsonの構成力にも感銘する。それぞれ異なる素材が重なり合い、交わり、くっついているのは意外な出会いの融合である。
ストリートに出てから、彼女の作品制作は始まる。
道に捨てられているものが作品になるのだから、自分の完全なコントロール化にはなかっただろう。散歩に行けば作品が徐々に自ずと決まっていくのだから、それこそGo with the flowの精神であっただろう。
二つとない、様々なFound Objectsは、また黒一色のペイントで統一されている。それはまるでいらない雑音がミュートして大人しくなり、作品の持つ大胆さをより一層引き立てる。
最後に私がもう一つ作品の中で魅力的だと感じたことがある。 それは椅子などの工芸品だった。
それぞれのObjectに個性がある。美しい椅子だと思った(昔の家具は綺麗に作られていたのだな)!
今、海外でも密かに注目を集めている工芸”Kogei”、これは作者の主な意図ではなかったかもしれないが、ある意味、工芸の性質が含まれる作品は、作者の表現と工芸とのコラボレーションだったのではないだろうか。