海外活動インタビュー: 画家 / 絵本作家 藤田美希子
前回のLee Hochoulさんのインタビューに引き続き、今回はミュンヘンの芸大に通われていた藤田美希子さんにお話を伺いました。
ー それではまず自己紹介をよろしくおねがいします。
藤田: 藤田美希子です。千葉県出身で多摩美術大学を卒業後、ドイツのミュンヘン造形芸術大学に通いながら、ライプツィヒ視覚芸術大学でも聴講生として講義を受けていました。また、2014年のボローニャ国際絵本原画展入選後、同じ年に絵本をドイツの出版社から出していただいています。卒業後は鳥取県鹿野町に移住、芸術祭を企画・開催し、以後鹿野町で制作をしながら、鳥取、東京、ドイツで作品発表をしています。2020年2月にはノルウェーで風土のリサーチを兼ねてアーティストレジデンスを行いました。
ー 多摩美術大学を卒業後、ミュンヘン造形芸術大学に行こうと思われたのはなぜでしょうか。
藤田: 幼少期に父の仕事の関係でミュンヘンに住んでいたので、日本に戻ってからも家の中にドイツの工芸品や音楽が溢れている家庭でした。子供の頃からドイツに興味があり、また自分の知らない世界が海の向こうにあるんだという意識がずっとありました。
多摩美に進んで絵画を勉強している頃、日本でリヒターやポルケなどドイツの作家を紹介する展示が沢山行われていて、その中で「日本におけるドイツ2005/2006」(ドイツ年)という企画でドイツの現代アーティストの展示が横浜で行われたのですが、その展示のボランティアスタッフとして参加し、作品に触れ、アーティストと話す中で、作品作りのアプローチの違いを感じました。
アートに限らず自分が見ている世界への視点は、あくまで日本人としての視点だと気付き、もっと広い知識と視点を持った上で自分の作品を作りたいと思うようになり、ドイツに渡って、ヨーロッパのアートへの視点や制作のアプローチの仕方を学ぼうと留学を考えました。
ー 実際にドイツに渡って勉強してみて、授業の内容や作品へのアプローチの仕方など、日本と違うと感じることは多かったでしょうか?
藤田: 多摩美ではカリキュラムが組まれてあり、最初の年などは学科の授業と実技の授業でスケジュールがびっしり埋まっていました。実技では素材研究のワークショップや、デッサンの授業などが用意してありました。
ミュンヘンアカデミーではカリキュラムは一切なく、あるとすれば毎年7月に行われる大きな展示会だけ。あとは基本週に一度の講評会があるだけでした。 この講評会も多摩美とミュンヘンでは、大きく違いました。 多摩美では生徒は完成させた作品を展示したら、あとは黙って教授の講評を聞く、というスタイルでした。
ミュンヘンでは、生徒は多くの場合、制作段階の作品を講評会で見せていました。そしてその作品を作ろうと思った経緯や、制作の仕方などを生徒が自分で時間をかけて説明をします。そしてその説明を受けて、他の生徒が質問を投げかけて、クラス全員で議論するという形でした。
教授は一通り意見が出た後に自分の考えを話すという形が多かったです。日本の美術大学では作品の完成度に重きを置かれる傾向があり、生徒達はひたすら完成度をあげていた印象がありますが、ドイツでは作品へ向かう思考の部分に重きを置いていると思いました。
ー 確かにドイツのアーティストと一緒に制作したり、制作を手伝ったりしているとよく作品について相談され、意見を求められますが、それは美術教育のあり方からも来ているのかもしれないですね。ちなみに、日本の大学では専攻分野とは関係ない教養科目の必修授業も多いですが、ミュンヘンの大学ではどうでしたでしょうか。
藤田: ミュンヘンは必須ではなく、取りたい人が取るという形で教養科目がありました。たとえば美術史の授業などがありましたが、教養科目を取らない人も多くいました。
授業の内容に関して日本とは違うと思ったことへの補足になりますが、日本の美大生は大学に入る前に予備校で基本的な技術(デッサンや油絵など素材の使い方)を学んできます。基礎的な技術があった上で大学に入り、自分の作品世界を作りあげるというのが日本の美術教育にあるからでしょう。それは基礎が出来てから応用が出来る、という型を大切にする日本文化からくるところもあると思います。
変わってミュンヘンの美術大学では、入ってくる生徒は基本的に絵をあまり描いたことがない人が多いです。デッサンを一度も描いたことがないまま、自分の作風の模索に入る人も多くいました。それは固定概念に縛られず自由に発想するためで、写実的に描きたければ、写真をキャンバスに映写してなぞればいいという考え方でした。これは美術に工芸的な美しさを求める日本と、新しい考えやアイデアを表現することを重視するドイツの大きな違いだと思いました。
ただドイツの中でも考えの違いはあり、例えば旧東ドイツのライプツィヒ美術大学は大学に入る前の訓練クラスを設けたり、入学後は2年間デッサンなど、一通りの基礎を徹底的に学びます。そこから進級出来た生徒が技術を応用して学ぶための専門のクラスを選択して、初めて自由に制作が出来ます。
一言にヨーロッパ、ドイツと言っても、それぞれの国や地域で美術教育に対する考え方の違いがあるということも、ドイツに渡って知ることが出来ました。
ー 受験に関してですが、入学試験の際にマッペ(自分の作品をまとめたノート)の提出を求める大学もありますが、絵をあまり描いたことのない人もいるということは、ミュンヘンの大学にはそれはなかったのでしょうか? また、ミュンヘン造形芸術大学入学までの大まかな流れを教えていただいてもいいでしょうか?
藤田: ミュンヘンの入学試験を受けるためには、まず教授とコンタクトを取るため連絡先を入手するところから始まります。 私は学校に貼り出されていたアシスタントの連絡先を入手して、面接のアポイントを取りました。その年に教授がもう生徒を欲していなかったら、面接すら受けれない場合があります。 そしてマッペを作り、面接でプレゼンをしながら作品やドローイングを見せて話しました。
私の場合はその場でオーケーをもらい、入学試験を受けれることになりました。入学試験は課題が出されて、それに沿ってデッサンするというものです。ただこれはあくまで形だけで、教授にオーケーを貰えたらほぼ全員が合格するシステムでした。最後に試験官である5人くらいの先生の前に行き、軽く話して正式に合格を貰いました。教授にマッペを見せるときが一番の試験であり、教授の部屋がある廊下にはマッペ面接待ちの生徒の長い列が出来ていました。
私の年は何十人面接したのか分かりませんが7人生徒を取っていて、通常は4,5人取るか取らないかくらいです。 入学に必要なものはミュンヘンアカデミーからの入学許可証と、多摩美の卒業証明書・高校の卒業証明学生(いずれも英語訳されたもの) 、そして年間VISAです。年間VISAは現地の保険会社に加入して保険証を用意し、それに加え生活出来るだけのお金が銀行にあることを証明する預金残高証明書と住民票(いずれも英語訳されたもの)、現地の大学の入学許可証を用意して現地の外国人局(Ausländerbehörde)に申請し、取得します。10年前なので今と変わっているかもしれませんが、こんな感じでした。ミュンヘンでは語学証明書はいりませんでした。
ー それは日本の受験とは大きく違いますね。教授が教えられる範囲の分だけ生徒を募集するというのはとても合理的ですが、今まで絵をあまり描いたことのない人がどうやってマッペを作ったのかも気になるところです。また、ドイツ語(もしくは英語)能力の証明書がいらないのはちょっと驚きです。
藤田: マッペ作りで初めてアクリル絵具を使ったとか本格的に集中して絵を描いた人も多くいました。 その色使いやセンスや面接時のプレゼンの話、将来の方向性がクラスと合っているなら取る、という事が多いそうです。
当時、語学証明書がいらない美大は確かバイエルン地方だけだったと思います。ライプツィヒは必要でした。「語学証明書がいる=外国人を除外する動き」という見られ方もあり、バイエルン州は外国人生徒に門戸を開けるという形で証明書がいらなかったようです。私のクラスでは私とブラジル人の生徒以外は皆ドイツ人だったので、実情は良く分かりませんが、外国人学生の中では韓国の学生が多く、皆ドイツ語が上手だったので、やはり語学試験がないにしろ、学ぶ意欲がありコミュニケーションが可能な生徒を主に取っていると思います。あとは英語圏の生徒ですね。
ー ライプツィヒ視覚芸術大学では聴講生(他の美術大学に籍を置いている学生が希望する教授にマッペを見せて面接し、受かると受講できるもの。※大学によって仕組みは異なる。)として講義を受けていたそうですが、ライプツィヒ視覚芸術大学の講義を受けようと思ったきっかけは何でしょうか。また、どのような講義を受けていたのでしょうか?
藤田: ライプツィヒに行ったきっかけとして、元々日本にいたときからこの大学に興味があったことがあります。ライプツィヒ視覚芸術大学はブックアート、つまり本の美術が学べる大学で、豊富な工房が揃い、ここで本という媒体についてしっかり学びたいという気持ちがありました。私は自分の絵画作品を本というメディアにして人に鑑賞してもらうことで、人がもっとプライベートな空間で作品と触れ合えるのではないかと考えていました。
印刷物はオリジナルの劣化ではなく、本だからこそ出来る表現があり、それを探りたいと思いました。 本を通して作品を発表するという考えは、閉鎖的なギャラリー文化に対して、漫画や絵本が広く親しまれている日本の状況から生まれた自分なりの考えでした。
また、元々ヨーロッパの写本に興味があり、その歴史や文化を色濃く受け継いでるライプツィヒという街にも興味がありました。街には印刷博物館や年に一度のブックメッセがあり、本がとても大きな存在感を持っている街でした。 ライプツィヒではブックアート科のイラストレーションクラスに入り、1セメスター(約半年)ごとに本を作る課題をしました。
週に一度ワークショップ形式のイラストの授業があり、クラス外では版画工房が自由に使えたのでシルクスクリーンやリノカット(ゴム版画)の制作をしていました。また、隣のクラスのタイポグラフィ科の生徒から文字の配列について教えて貰い、とても勉強になった事を覚えています。ライプツィヒ美大のブックアート科では、生徒がそれぞれ高い技術を持っており、彼らから教わることも多かったです。
ー ライプツィヒは活版印刷発祥の地としても有名ですものね。ボローニャ国際絵本原画展で入選後、ドイツで絵本が出版されたとのことですが、本の内容について紹介していただいてもいいでしょうか。
藤田: ボローニャに入選した2014年にベルリンの出版社Jaja verlagから絵本が出版されました。(ボローニャで入選した原画とドイツから出版されている絵本は別のものです。)この絵本は多摩美の卒業制作で制作発表したもので、油絵で描かれた言葉のない絵本です。 10代の子供達が真夜中に家を抜け出して、公園で待ち合わせ、森へ行き、どんどん森の奥へ入っていく。そして森の奥にある湖に着き、そこで裸になり水浴びをして、また朝が来たら町へ帰るという一夜のお話です。この、森の奥へ進み自然と溶け合うという情景は、今の作品にもずっと繋がっているものです。