ここ数年いくつかの地域プロジェクトに携わる中で、地域の課題は地域の人々が地域の本当の資産に気づいていないところにあるのではないかと感じている。もちろん地域の誇る景勝地や特産物が売りなのは地元の皆さんが一番良く理解していることなのだけれど、それが観光としての本質的な資源となるとは信じきれないでいる。または気づいているけどどう生かしたらいいかわからないというところもあるだろう。そんな気がしている。それこそ僕のように外部からきた人間だからこそ余計に地域の持つ美しさや美味しさに感動するようなことがあるのかもしれない。
だからこそ僕は地域のプロジェクトに大きな魅力と可能性を感じている。地域が持つ素晴らしい環境に、寄り添うような美しい建築がたち、その空間の中で地域の色や文化を最大限に感じ、学びとることができるような場所。そのような素晴らしい場所に建つことは、建築自身も当然嬉しいはずである。
ここで、「ホテルのすすめ」と題して原研哉氏の著書『低空飛行—この国のかたちへ』(岩波書店)を紹介したい。
原氏はこの本のなかで、そのような場所のことを、「ホテル」と呼んでいる。
その「ホテル」の定義はこれだ。
「土地に潜在する自然を咀嚼し、解釈し、建築を通して鮮明かつ印象的に来訪者にそれを表現する装置」
建築がそこ(環境)に佇むだけでは足りず、その建築の中で時間や空気を感じ、暮らしを通してみてはじめて「わかる」ようになること。すなわちそこで寝て、起きて、太陽の光を受けて、食事をして、空気を味わって初めて得る衝撃・感動までのひとつながりのストーリーが「ホテル」という装置である、ということなのである。このような場所があることで、地域は地域の資産を使って今まで眠っていた潜在能力以上の魅力と文化を発信することができる。そういった質の高い場所があることで、世界中の感度が高い人々がその場所を訪れ、感じて、もちかえる。それが次の次元の観光だと言っているのだ。
「ホテルは今日、人の移動を支えるために、ひと夜を安全に過ごし、安眠と体力の回復を支えるのみの存在ではない。
むしろ土地に潜在する自然を咀嚼し、解釈し、建築を通して鮮明かつ印象的に来訪者にそれを表現する装置である。またその土地に産する食の恵を見事に収穫し、成果として差し出してくれるサービスである。
高原の心地よさに気づくのも、海辺の静けさを再認識するのも、光というものが土地土地によっていかに違うかを知るのも、ホテルという、考え抜かれた施設と仕組みを通してであることが少なくない。そしてホテルを通して、風土を表現し、来訪者をもてなすことが、経済を生み出すと同時に、土地に住まう喜びを蘇らせてくれるかもしれない。」(p.32)
この書籍の中では、さまざまなデザインを通して日本列島について考え通してきた著者がたどり着いた、描くべき次世代のゴールを示している。次の時代の観光は今までの観光にあらず。グローバル/ローカルの時代に、現代人に「わかる衝撃」を与えるための引き金として「気候、風土、文化、食」を基軸にした新次元の「ホテル」の計画について語られている。
「僕は『ホテル』に注目している。ここで言うホテルとは、移動の拠点としてひと夜を過ごす、あるいは祭事の華を披露する空間ではなく、むしろ『環境や風土に潜在する価値を咀嚼し、施設や建築を通して顕在化させる装置』を意味している。そこにある絶景を、サービスに供するためにかすめ取るのではない。
もしホテルがなかったなら、その土地の風光も景色も、食も文化も明確には認識できないような、その地に存在する魅力を可視化するべく周到に構想された、美意識と知恵の結晶である。」(p.19)
「食については...(中略)まさに可能性に満ちた、累々たる観光資源であるが、現在に至るまで国を成り立たせる資源として本気で考えられたことはなかった。一部の例外を除いて、日本国内の人々が『生産』にいそしんだ心身の疲れを癒し、宴会で羽を伸ばすための逸楽や歓楽を提供する産業として、温泉街や観光旅館がそこそこに栄えたに過ぎなかった。そのような観光を決して否定も軽視もするつもりはないが、発想の異なる観光というものがある。未来の日本列島に置いては『気候、風土、文化、食』を基軸に、新次元の観光が開花しようとしているのである。」(p.9)
著者はここ数年毎月、日本を歩き、新次元の観光に価値を提供できそうな場所を訪ねて、その記録を「低空飛行」というWebサイトで紹介し続けてきている。
「これは日本の観光に関するリサーチであり基礎研究のようなものでもある。
日本を歩き回って思うことは、やはり自然の相貌の多様性である。一つとして同じ海はなく、一つとして同じ山はない。日本列島は『半島』や『峰』、『湖』という果実がたわわに実っている樹木のような存在である。」(p.22)
このようなリサーチに基づいて、著者の琴線に触れたホテルやそのホテルが持つ文化的・風土的特徴がいくつか紹介されている。その幾つかはwebsiteや書籍から感じ取っていただくとして、ここでは勝手に僕が先日宿泊した素晴らしいホテルを紹介してみたいと思う。日本国内のものではないが、もちろんそれは著者の言う「美意識と知恵の結晶」を感じる場所であり、「その場を訪れる人々に、その土地の歴史や文化とともに見事に収穫してみせる」、「建つ風土や伝統、食の最良の解釈」などの体験を存分に与えられたホテルであった。
南インドはケララ州(Kerala)にあるショラヤー・リザーブ・フォレスト(Sholayar Reserve Forest)という森林保護区内にあるホテル、”Rain Forest”である。
長さ145kmのチャクラディ川(Chalakudy River)からつながる、アジア最大級の滝と言われる高さ81.5フィート(約25m)ものアティラパリー滝(Athirappilly Falls)を眼前に望む圧巻の景色を持つホテルで、エントランスへのアプローチ、斜面地を利用した建物の佇まい、部屋や浴室からの眺め、滝の音、動物の鳴き声、などなど地域の凛とした空気や音を存分にまとった素晴らしい建築であった。
この地域の森林の野生生物には、インドゾウ、ベンガルトラ、インドヒョウ、ガウル(gaur)、サンバー(Sambar deer)、シシオザル(lion-tailed macaque)が含まれる。ホテルの敷地内にはこれらの動物の通り道などがあるため早朝や夜間の外出は禁止されている。森林保護区であるため高度に管理され、自然の生息地はあらゆる種類の密猟や狩猟から保護されている。部屋のテラスには野生の猿が歩いていて、我々もナイトサファリでは運よく野生のインドゾウにも遭遇することができた。
壮大なAthirappilly滝のゴォォという音(心地の良いノイズ)が響き渡る緑深き野生の森で、その滝を一望できる素晴らしい居室に宿泊する。僕たちが滞在したのはセレスティアル(Celestial)という部屋で、その部屋の説明がまた素晴らしい。
"A room fit for the gods: the ambience of the elegant celestial room is designed to suit those who appreciate the finer things in life(「神々にふさわしい部屋: エレガントな天空の部屋の雰囲気は、人生のより良いものを高く評価する人に合うように設計されています。」)."
スイートの部屋のインテリアはハイスタイルでレイアウトされており、アドオンも十分に(インド的な期待以上に)付属している。霧のかかる滝を大きな窓から眺めるのは、美しさを超えて環境を全身で享受するような贅沢である。
“From the room of Rainforest, it’s the sound of solitude, the kind that soothes you, taking you away from all your worldly worries, lulling you to sleep - Conde Nast Traveler (「熱帯雨林の部屋から聞こえる孤独の音は、あなたを落ち着かせ、世俗的な心配事からあなたを遠ざけ、あなたを眠りに誘います。」)"
ランチは滝を望むテラス席でSadya(サディヤ)と呼ばれるケララ発祥の伝統的なベジタリアン料理(マラヤー語で宴会を意味するこのサディヤは典型的な場合バナナの葉の上に20種類前後もの様々なカレーが乗せられる伝統食)を頂戴する。朝食はバランスの取れた1日の最初の食事のために、慎重に考案された南インド料理とコンチネンタルのメニュー。夕食は曜日ごとに特別に作成された 4 コース メニュー。 料理 — ヨーロッパ料理とコンチネンタル料理。
さらに、このホテルでは、食事、自然療法、解毒、薬草療法、瞑想、日常生活を含む健康への総合的なアプローチを信じていて、アーユルベーダ療法による対処療法を受けることができる。Athirappally の自然の中で完璧なヒーリング センターを提供していて、 レインフォレストのホリスティックな体験に浸り、体、心、精神、感情の力を解き放つことができる。
これら全てにおいて、前述の原研哉氏が語るような概念が、「ホテル」の通貫する概念として実践されていることがわかる。
"Rich, rare, and undiscovered experiences. If this is not luxury, nothing is.
When you get face to face with raw nature, that’s when you start noticing — myriad colours, textures and sounds. You have stumbled upon a place so unadulterated, that we don’t want you to take back mere clicks of the place. Breathe in, take back that feeling home. Everything you see, hear and feel is an outcome of great detailing. Every moment is crafted to transform them into memories, which can’t be described in pictures or words (「豊かで希少な未発見の体験。これが贅沢でなければ何もありません。生の自然と向き合うこと、無数の色、質感、音に気づき始めます。ここはとても純粋な場所。息を吸ってその気持ちを家に持ち帰ること、これは見たり・聞いたり・感じたりするもの全ての細部までにこだわった結果であること、全ての瞬間が写真や言葉では表現できない思い出に変わるように作られていることです。」)."
"No person at any corner of our space should be untouched by the luxury of the falls. That’s exactly what our design philosophy is, be it for rooms or for our pool. Every corner should open up to the lavish nature’s bounty. This was just the starting point, the idea was to let this luxury trickle down to every minuscule thing. Be it our staff, the food, the swim or any little experience that we craft(「どこにいても滝の魅力に触れてはいけません。これが私たちのデザインの哲学です。隅々まで豊かな自然の恵みに開かれている必要があリマス。これは出発点。アイデアは、この豪華さをあらゆる小さなもの(私たちのスタッフ、食事、または私たちが作り上げる小さな経験)に浸透させることです。」)."
そして何よりもこの場所では自然と建築が対峙し、よりこの風景の美しさを引き立てていた。原氏もそういった建築について以下のように触れている。
「建築家のフランク・ロイド・ライトは、自然の美しさが景観として印象づけられるのは、人工物としての建築がそこにあるからだと語っていた。確かに、自然があるだけでは、その美しさは立ち上がってこない。そこに人為の象徴である建築を対置させることで、味わうべき自然が立ち上がってくる。」(p.33)
このホテルはピーター・ズントーやジェフェリー・バワの建築にも見られる「自然のままではなく、人為を介入させることで、自然をむしろ際立たせ、その場を訪れる人々に、その土地の歴史や文化とともに見事に収穫してみせる。」ような手法そのものであった。
「ホテルは、自然や土地の恵を解釈し、差し出す装置として捉えるならその格好の事例」と書かれているように、まさにこの言葉を体現しているような貴重な宿泊体験となった。
さて、話を本題に戻すと、この書籍の内容が建築に携わる自分にとって愉快なのは、これは建築だけがそこにあっても達成し得ない次元のことを説明しているからだ。たとえば地域の絶景に素晴らしい週末住宅を建てたとしよう。それでも文化・食は地域での暮らしや、あるいは地域のサービスがなければそれは体験できない。例えば地域活性化のための道の駅を設計したとしよう。それでも購買活動の短い時間では光の移ろいや空気の変化は感じることが難しいかもしれない。地域の魅力を「わかる」ためにはそこに「滞在」して時間・文化・食を「享受」する必要があり、その空気全体をまとった装置が「ホテル」なのだ。建築と事業運営とディレクションのセンスが高い感度を持って地域の素晴らしい環境とシンクロした時に、始めて発揮される「環境と建築の力」なのである。
ちなみに僕はこの本紹介するにあたりもう一度読み見返したときに、「ホテル」を「建築」と読み替えて読んでみた。
するとホテルだけではないあらゆる用途の建物においても、その次なる次元を目指す可能性を秘めていると感じた。つまり僕はホテルだけでなくあらゆる建築でこの境地に向かいたいと考えている。交流人口を増やせても移住者が増えないと意味がないとはよく聞くセリフだが、僕はそんなことはないと思う。地域の魅力を感じ取る交流人口が増えることが地域を活性化し、真の地域の資産に共感した人々がそこに移住してくるのではないだろうか。
とはいえ、冒頭で述べたとおり、ホテルでも道の駅でも一般的に地域の課題は「イマジネーションの枯渇」にあると感じている。自分が携わってきたいくつかのプロジェクトの中でもこの障壁が常に大きく立ちはだかっていることは事実である。
「本書は、ひとりのデザイナーがデザインという樹によじ登ってそこから見えている情景を語ったものであり、日本の近未来の可能性であるとお考えいただきたい。まずは日本列島の独自性と潜在力を、目を見開いてしっかり見つめることからはじめたい。」(p.6)