古民家リノベート「MARUYO HOTEL Semba」オープン
MMWA Holdingsは、伊勢の玄関口である桑名市船馬町に「MARUYO HOTEL semba」を一日一組限定の宿として開業。当ホテルは、明治創業「丸与木材」の築70年超の本家をリノベート。1階には、ラウンジ、それぞれに趣の異なるツインルームが2部屋、露天風呂。2階には、揖斐川と住吉神社を臨む広々とした大広間。 伊勢の玄関口の面影を感じながら時を刻む、一日一組限定の一棟貸ホテル。
インテリア・デザイン、アートのディレクションは名古屋で現代アート・工芸のギャラリーを15年営む、正木なおが監修。具体美術協会の堀尾貞治の作品や、江戸時代の杉戸絵、城所右文次のバンブーチェアなど、MARUYO HOTELは、現代アートとアンティークが調和して出来上がっている。また三重県の著名な作家である内田鋼一のカップや、世界のコレクターが憧れる飯塚琅玕斎の竹籠など、今と過去、ア ートと工芸、古美術が絶妙なバランスで融合する。
伊勢の玄関口 桑名
桑名市船馬町には、江戸時代、東海道で唯一の海上路である「七里の渡し」があった。20年に一度の伊勢の式年遷宮でも建替られる「伊勢の一の鳥居」があり、名古屋からの舟旅は危険と隣り合わせだったため、一の鳥居をくぐることで神の国に入ったと、多くの旅人は感じたに違いない。また、桑名は、木曽三川の重なる場所で、流通の拠点として大きく繁栄。戦前までは米相場も置かれ、一夜にしてお大尽になる実業家が多く現れ、料亭、花街も発展し、芸者は最盛期には200人を超え、120もの数の旅籠があったとも言われている。
明治から令和へ、引き継がれる材木商の本家
第二次大戦で桑名は大空襲を受け、あたり一面は焼け野原となり、丸与木材の本家も消失した。戦後、資源がない中で懸命に木材をあつめ、近隣でいち早く復興の証として再建したのが、現在のMARUYO HOTELとなる建物。令和になり空家となっていたこの建物をみて引き継いだのが、丸与木材創業者の玄孫(やしゃご)となるMIWA Holdingsの佐藤武司代表。武司は、フランス・パリでは日本の文化を伝える会員制サロン『Pavillion MIWA』を、京都では築70年の古民家をリノベーションした一棟貸しの宿泊施設『The Lodge MIWA』を手掛けてきている。海外からの視点で、家族と地域の歴史と文化を、そして現在と過去の繋がりを紐解くようにして、創業期から伝わる「丸与」と いう商号とロゴを引き継ぎ、MARUYO HOTELを誕生させた。
Lounge & Dining room
1階のラウンジは、土壁に包まれながら読書やティータイムが楽しめる空間として、2階のダイニングルームは、語らいや食事の場として。眼前に広がる川沿いの景色を眺めていると、過ぎし日の旅人たちの往来の風景が浮かび上がり、タイムスリップしたような感覚を覚える。建てられた当時のままの土の荒壁は、70余年もの歳月を醸し出す。
客室[room 0]
MARUYO HOTELの近隣にある明治時代の洋館・六華苑は、鹿鳴館を設計したことで有名なジョサイア・コンドル作。コンドルをオマージュした洋室は、漆喰の白壁と瀟洒なインテリアが居心地の良さをつくりだしている。夜になり大門を閉じると、仏蘭西のアンティークガラス戸越しにプライベートガーデンが現れ、ゲストの眼に美しく映える空間となる。
客室[room 1]
夜空のように青みがかった黒漆喰の床の間が印象的な主寝室。視点を庭に転じると、雪見障子越しにみえる坪庭の苔が黒塀に映え、洗面室から緩やかにつながる戸外には桧の露天風呂が楽しめる。夜は月明かりに美しく照らされ、朝は爽やかな空を眺める贅沢な時間。夜と昼、2つの顔が存分に愉しめる空間には、穏やかでありながら非日常の時間が流れる。
片泊まり(朝食のみ付)のMARUYO HOTEでは、作りたてを大切にしたシンプルな朝食を用意。徒歩圏内には蛤鍋の「日の出」や、松坂牛すき焼きの「柿安」など有名な料亭が多く、隣接する名古屋まで足を延ばすと、一つ星のフレンチ「壺中天」などのレストランでの夕食をセットにしたプランも楽しめる。また、名古屋の熱田から、桑名まで「七里の渡し」を船でわたるクルーズプランを用意。ヴェニスを彷彿とさせる、水路の多い桑名の景色を楽しめる。
MARUYO HOTEL Semba 概要
所在地 | 〒511-0011 三重県桑名市船馬町 23 |
客室数 | 計2室(1棟貸し 120m²) 1~4名利用可 駐車場完備 |
問合せ | 090-2773-0004 info@maruyohotel.com https://www.maruyohotel.com |