イマジナリーライン(imaginary line)

ビリヤードをする時に自分の手玉を撃ち、複数の的球が反射し、ポケットに落ちていく想定線のことを言う。プロになればこれらの線に色がついたり、太くなったり、カチッと音としてハマるものが脳裏で聞こえてくる。

コンペをする時僕らは多くのコンサルタントをつけて進んでいく。構造、設備、ファサード、ローカル、ライティングなどが基本とされ、用途によってチーム編成は決定していく。この全てのコンサルタントの個性を最大限に引き出し、調和が取れる状態に調節するのがコンペの勝敗を左右する。今回は、とある街のとあるコンサートホールのコンペであった。音響設計に加えてコンサートもしくは劇場設計のコンサルタントを今回は追加した。また所内の別階でコンサートホールを仕上げているチームに「音響設計は難しいぞ !」と忠告を受ける中、彼らの解答の更に上を挑むことが所員としての筋であった。音響からくる形状を決定する最高峰の音響空間に挑む更に難しい解答を提案する方針を我々は選んだ。

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音響空間は大きく2つに分けることができる。シューボックス型とビニヤード型である。シューボックス型は文字通り直線で解いた箱型のものであり、ウィーンのニューイヤーコンサートで知られる会場などがその代表例である。箱の奥行き、幅、高さなどの比率が要となり、ウィーンの場合は素材にハンガリー帝国を彷彿とさせる金が多く使われておりまた彫刻等から起きる乱反射などもその音響空間の完成度を底上げしていると言われている。

対してビニヤード型は観客席が無数のグループに分かれていてその様子がブドウの房やブドウ畑になぞらえていることから名がついたとされている。この型はその無数に別れている客席からできた反射板が曲面で設計されているものでありこの絶妙な曲面と全体とのバランスを探す上でコンピューター解析を何度も往復させることを余儀なくされる。

僕がいる事務所は曲面を多く扱う事務所であり、常に新しい提案に挑戦し、完成させていくことが根底にある事務所である。前者は何世紀にも渡りやり尽くされている中、後者はまだ未知数が多い領域を占めている。このどちらかを選ぶ場合、事務所として後者を選択するのは当然であり、コンサルタントもその方向を暗黙で望んでいた。

音響設計士との最初の会議

各国の時差を考慮して、朝に行われた。僕らが今までやってきたものを見せ、その後、彼らのプレゼンが始まる。資料を読み上げ、テクニカルな寸法と比率を教えてくれる人が1人。そしてそれを別の人が解析をかけてどういう効果があるかと説明してくれる人が1人。

そして年配のある方の声のトーンが気に止まる。透き通るような発声法で内容も実にクリアー。会話を遮ることも決してしない。何者だ... 会議の最後に余談で楽器をやっているのかという質問を投げかけフルートで楽団に入っていると。やはり。

やがて具体的なモデルを交換する時期になる。僕らは夜中に送り、彼らは同時に朝に受け取る。僕らはそのまま寝に入り彼らは作業に入る。僕らが朝帰って来る頃に説明を受けまた作業に進む。この時差を有効に使う事で進んでいく。最初の頃は簡単なダイアグラムでのツッコミが色々と入ってくる。このツッコミを何度も受けるうちに、なんとなくのイメージがどこかに存在することに気がつく。これを探るためにこちらも色々と極端な例を無数に問いかけていく。「この場合はこっち。」「この場合はあっち。」と丁寧にまた嬉しそうに教えてくれる。24時間以内にどこまで成長できるかというプレッシャーを毎日自分に課していく。そしてお互いの実力が少しずつ見えてくる。会議での疑問を一瞬でも逃せば1日それだけで消えていく。その場で待ったをかけ、その場でラフスケッチを見せても即座に返事が返ってくる。「なぬ。」やがてその場で立体を起こすがそれも即座に返してくる。「なぬぬ!」フルート奏者は解析をかけなくとも既に目で見て瞬時に返答できるレベルにいるのか...と言葉に詰まる。チームメイトも「ちゃんと解析したもので理解したい」とすかさずフォローを入れるが、その10時間後にそれとそう変わらない解析結果が送られてくる。

ImaginaryLine

視線: ステージと客席の視線の関係が全て結ばれているか
反響線: 音が反射板にどう広がっていき、それが左右の耳に十分に到達しているか

というイマジナリーラインが何百本も彼には見えている。そして、その結ばれる想定線がカチカチと脳裏で音となり最終的には無音の調和を満たしているかということを気にしている。彼にとって、解析プログラムは僕らを説得させるためのツールに過ぎない。いわば、この道のプロである。これを受け入れられないチームメイトもいる中、僕はそれに飛び込む決意はとっくにできていた。コンサルタントと仕事をしていて圧倒的な力の差による嫉妬と喜びが入り混じる瞬間である。コンサルタントに能力で劣るのは構わない。負けてはならない相手は別にいる。これが吸収できれば差がつく。彼らもそのビジョンを瞬時に理解できた僕らに喜びをみせる。

大筋を理解したと分かればスタディを捨て、一から組み立て直す。リセットである。僕らの事務所の方針と混ぜたもののスケッチが永遠と続く。「違う。これも違う。惜しいがこれでは行き詰まる。平面ではできてるが断面が。」劇場設計のコンサルタントにもみせる。「断面はいいが平面が...」頭の中では描けているが、紙に起こせない。要素はこれで足りていることも確認し、トレペを千切っては重ねていく。隣の子、後ろの先輩、通りかかった先輩、そして上司に説明しては、閉ざされていく何かをこじ開けてもらう。もっと客観的に、もっとシンプルに、と力の抜けた方向に設計を揉みほぐそうとはするが、あと二、三手で王手になるのはわかっている。そして全体の流れを決定する小さな一手を見逃すまいと神経が研ぎ澄まされていく。

朝の会議も焦りと中だるみが入り混じる。向こうもプレゼン内容も減ってきている。こっちの作業量とでバランスが崩れ始める。マズい...この流れ...そうと分かれば、やるべきことを全てモニター上に自分からスケッチで描きあげていく。「これができてない。あれができてない。」と長手短手断面、各階平面、各パースを順番にみては戻り、言いにくそうなことも自分で真っ赤にしていく。それらを確認しながら付け加えてもらう。予定と作業量は別として、本質はお互い見えていることを確認していく。

その後、いくつかのモデルを送る中、ある日「面白い解析結果が出ました。」と会議の最初に。複雑ながらもシンプルなものになっていると。あのフルート奏者も「細かいところは、勝ってから修正するとして、これは建ててみたいですね。解析だけでは分からないことがあります。」というところにまで到達していた。すかさず、どう仕上げるかと言う話に進み、一番最初の会議で見せた僕らの過去のものに再度戻った。彼らも安心しているのが発声でわかる。すると、あることに気がつく。今まで見えなかった想定線が...みえる。ハッキリと。この形状はここが甘い。この席はさほど視界が良くないと。これは同じ書類か?とファイルを疑う。会議はそっちに話がズレてはしまったが、コンサルタントも嬉しそうに「あなたにも見えるようになったんですね。1ヶ月そこらでそこまで見えるのは悪くないですよ。」と言われ、感謝と成長の喜びで更に返事をするが、「我々も同じように成長させていただいきました。共に仕事ができて光栄です。」と会議を終えやっと気がつく。仕事への姿勢がこの一言に尽きる人だと。

数時間後、仕上げているものを上司がジッと見ていたことに気がつく。「いつからそこにいたんですか?説明しますよ。」と振り返るが、「いいから仕上げろ。間に合わんぞ。」とだけいいその場を去っていった。隣席の子が「少なくとも3分は眺めていたわよ。長い方ね。」と微笑ましく伝えてくれた。

僕らは見えないものを扱い、見えないものに挑んでいる。新しいものを産んだ時その産声に動揺する。作品に込めた魂が自分を既に離れている。こういう瞬間をどう捉えるべきか分からず、目標としている空間に期待とともに立派に育ててあげたいと愛情が生まれ始める。

Tsutomu  Yoshikawa